光速の背景 次ページ

第1章 輝かしい発見
そして観察中に、自分がどこに立っているか、ということが念頭になかったために、切り立った崖から足を踏みはずして転落されたのです。このようにして今、ミレトスの人たちは天空のことを語ってくださる方を失ってしまったのです」とある。どうやら、タレスが足元を踏みはずしたのは、一度や二度ではなかったようだ。それはともかく、自然哲学者であるタレスは、自然のみならず人間を含めた万有を貫く基本原理といったものを求めていて、「水」こそが万物の根本にあるものと考えた。
 前560年頃、アナトリアのミレトスで、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスらの哲学者がイオニア学派と呼ばれる一群を形成する。アナクシマンドロスは万物の根源として「無限なるもの」を考えたが、広く人間のあり方、文化・文明にまで及んでいた。アナクシメネスは「空気」を万物の始元とし、それは無限で、その濃度によってさまざまなものが生成されると考えた。またエフェソス人のヘラクレイトスは万物の根源を「火」とし、その生成・消滅によって宇宙および魂のありようを説明した。

 前6世紀末、僭主政が打倒されたアテネで、海岸派のアルクメオン家のクレイステネスが、敵対する平地派のイサゴラスを破って国政の改革を行なう。
 彼はまず市民を血縁的な4部族制から地縁区分による10部族制に改めた。アッティカを町・海岸・内陸の3地域に大きく分け、ついで各地を10の部分に分割した。そして3地域から1部分ずつをとりだし、その3部分をあわせて一つの部族としたのである。つぎに五百人評議会を設置し、評議会の役割は民会での審議事項を先に議論し、準備することである。
 陶片追放も彼が始めたらしい。追放された者は財産こそ没収されなかったが、10年間アッティカを離れなければならなかった。彼の改革は、民主政の基礎をつくることとなる。

 古代哲学 
 古代哲学はまったくギリシャの哲学思想といってもよい。ギリシャの哲学思想は紀元前600年ごろ誕生したとされる。
イオニア諸都市のうち殊にめざましいミレトス市に発生した哲学思想はミレトス学派と呼ばれる。その世界観は、一切の事物は唯一の本源から発したものだと考える一元論――この一元論はギリシャの多神教的な宗教と衝突した――である。その後2つの思想が発生し、その1つであるエレア派はパルメニデスに発する。彼は「有」の概念から出発し、「有のみがあり、非有はあることなく、考え得ない」という。別のヘラクレイトス派の根本思想は「万物は流転してやむことなし」という考え方である。この2つの思想を合わせて、不変の原質と、生成変化の事実とを説明しようとする第三の思想が発生した。エムペドクレスは地・水・風・火を「万物の根」として、元素であるとし、これらは動かないものであるからそれを動かすものが他になければならない。それは「愛と憎」の2つである。宇宙は愛が勝って混合した状態と憎が勝って物質が分離した状態があり、両極間を往来すると考えた。アナクサゴラスは根底をなす物質をクレマタまたはスペルマタ(種子の意)と名づけた。運動させるものをヌース(精神の意)と名づけた。原子論者は、「有」というのは空間を充実させ、しかも分割できない、ただ分量上の形や大きさや運動の差異だけがある単元であると考え、アトマ(原子)と名づけた。原子は自ら動くもので、運動は物質の根本的属性であると考えた。ヘラクレイトス(紀元前540年頃~ 同480年頃?)は万物の変化を説き、その変化の関係や規律だけは変化しないと主張した。その変化しない関係・規律こそ「有」であると考える者が現れる。ピュタゴラス派の数論である。この学派の思想は、「数」が万物の常住的本質であるという。万物は数より成立し 
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