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 第1章 輝かしい発見

2.発見と発見者

科学上の発見こそが、あらゆる科学技術の発端となっている。われわれが現在恩恵に浴している科学技術文明の、基本的な支えとなっている事実、特に自然がもっている物性や現象といった根源的な性質に気づくことを、ここでは“発見”と呼ぶことにしよう。なかでも、あらゆる物質の働きや変化の基本的なメカニズムを司っている“物理”は、誰しも興味の尽きないものだろう。
 それゆえまず、とりわけ物理的現象に主眼を置きながら、特に自然法則の発見に至った先輩たちの発見ぶりを、これから年代に従って見てゆき、学ぶことにしたい。

 

確かな理性が不動の発見をする
 紀元前280年 天体の大きさと太陽中心説 アリスタルコス

 このような天才を科学的発見者としてまず初めに引くことができようとは、諸君、なんと喜ばしいことか。これほどの古代に、これほど俗慮を超えた知性があったとは! その人の名はアリスタルコス。その国はギリシャ。
 人がいだく“常識”のおよそは貧しく、“真理”はいかに想像を超えるものであるかを心得ておけば、いちおう科学者としての幸運の網を準備してあるといえよう。冷静な理性こそが、何か気づくことができる。分りきってる、と言わんばかりの半ば眠りこけている常識に対し、毅然とした考えをもって確かな推理によって臨めばおのずとよい発見へ導かれることができよう。権威に盲従するばかりの、固定的な観念や常識から離れて考えてみようとしない人に新しい真理を見つけられようはずはまずない。偉大な発見に出会いたければ、少なくともそれに必要なことは、彼らの群れから出てみることだ。その恰好の手本が紀元前にすでに見られる。ギリシャの科学者アリスタルコスを挙げようと思う。
 彼よりのちの権威たちが結集して彼を否定し、数百年にわたって自信たっぷりに誤っていたことが、やっと近世になって正された。その正されたとおなじ考えを、紀元前数百年も前に示していたのである。悠に千年を超える年月を要したわけだ。いまだに彼の功績が色あせないのは、それが確かな考えであったからである。

 ギリシャの哲学者アナクサゴラスが太陽は南ギリシャほどの大きさの岩の塊であると述べて、アテネの保守的な考え方をする人々の反感を買い、あまつさえ、裁判によってアテネから追放されてしまった。人々にとって、あんなに小さく見える太陽がギリシャほど大きいわけはなかっただろう。それから2世紀がすぎ、ギリシャは自然に対する視野が広がるとともに、斬新な思想も寛大に取り扱われるようになる。
 そんな状況のなか、ギリシャの天文学者アリスタルコス(Aristarchus 280B.C)は初めて、天体の大きさを決定することを試みた。驚くなかれ、紀元前280年ころすでにアリスタルコスは月食でみせる地球の影から、月は地球の3分の1ほどの大きさをもつ天体であると推定した。また三角測量を応用して月と太陽の相対的な大きさも算定した。正確さはともかく、天体が地球に匹敵する大きさをもつことを初めて示した。また太陽が巨大であることから、地球ではなく太陽が宇宙の中心であり、地球を含む他の天体が太陽の周りを回っているという考えを抱くようになった。太陽というものは実体のない光の玉とみなされており、かたく
  また太陽が巨大であることから、地球ではなく太陽が宇宙の中心であり、地球を含む他の天体が太陽の周りを回っているという考えを抱くようになった。太陽というものは実体のない光の玉とみなされており、かたく

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