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 第1章 輝かしい発見
重い地球がその周りを回っているという考えは、当時の人々には馬鹿げたことにみえたのである。
 彼の冷静にして客観的な、否定しがたい合理性に、案外、世間は冷たい反応を示したのだろう。大多数の人にとって、目の前に見えるものは大きく、実在感をもってせまる。そういった場合、自己中心的な誤りをおかしやすい。それにまた、新しい提唱が人々にとってあまりに常識と隔絶する場合には、その評価はずっと遅れて訪れるものだ。


 思索からめぐりめぐった発見
 紀元前250年  アルキメデスの原理 
 
 《ひらめき》が天の恵みとなった例は多い。しかし、多くは長い思索の末にそれは訪れる。この人もギリシャ人だ。
 アルキメデス(Archimedes 287212B.Cギリシャ)は『浮体について』という著作のなかで、流体に浮かぶか沈んだ物体の少し下方に一つの水平面を考え、この面にかかる静水圧は、上方に物体がある場所でもない場所でも等しい(もし等しくなければ水の流動が起こって釣合いが失われる)ことを基本定理として、「流体中にある物体にかかる浮力は、それがおしのけた流体の重さに等しい」というアルキメデスの原理を、純理論的に導き出すことができた。
 この法則も人々の常識となるまでに長い年月がかかった。近世になってイギリスの発明家R・トレヴィシックが丈夫な鉄で船を作ろうともちかけたときでさえ、「水より重い鉄で作った船が浮くはずはない」と、当時の投資家たちは嘲笑したという。それが19世紀初期の話というから、いかにアルキメデスが時代に先んじた科学者であったかがうかがえよう。ローマのヴィトルウィウスになる『建築十書』によれば、そのある日、いい考えの浮かばないアルキメデスは気持ちのよい公衆浴場へでかけた。当時シラクサ王ヒエロンが純金の塊を職人に渡して王冠を作らせたところだった。ところが職人が金の一部をくすね、代わりに銀を混ぜたという噂が広まる。そこで王はアルキメデスに真偽のほどを確かめるよう頼んだのだった。
 湯が満々と湛えられていた風呂に彼が入ると、いっぱいだった湯は彼が身を沈めるほどに溢れ落ちた。とたんに解決法がひらめいて風呂から飛び出し、喜びのあまり裸のまま、「エウレーカ(分ったぞ)!」と叫びながら家へかけ戻ったという。無理もない、おそらく複雑な王冠の体積をどうやって測ったらよいかと考えあぐねていたのだから。アルキメデスは、王冠と、王冠と同じ目方の純金と、同じく純銀を、順に水に沈め、器からこぼれ出る水の体積をはかった。王冠のほうが純金より多くの水をおしのけることから、銀が混ぜられていることをあばき、その割合まで計算した、と史実には記録される。
 理屈としてはそのとおりであろう。じつに分かりよい。だが、桝の縁では水の表面張力によって縁より上まで盛られ、溢れた水のわずかは桝の側面に水滴になって付着するだろう。そうこうしているうちに蒸発してしまうこともある。よく考えると溢れた水を精密に量ることは案外とむずかしい。しかし王冠とおなじ目方(じつは同じ目方でなくてもよいのだが)の純金も純銀も、直方体に造りだすことはでき、その3辺を測って体積は求められる。目方を体積で割れば純金と純銀の比重は決まる。王冠の比重は? これがわかりさえすれば、銀が混ぜられているかはわかるはずだ。王冠の目方はすぐわかる。問題は王冠の複雑な形からどうすれば王冠の体積が算定できるかである。 アルキメデスはいろいろと計測の仕方を考えていたことだろう。部分ごとの厚みを精密に測ることさえ難題である。もしもどんな形だって、おな
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