光速の背景  8 次ページ

 第1章 輝かしい発見
   
  • 図の、右の天秤は仮想のもので、溢れる水をすべて天秤皿に移してその量を測る。天秤皿のVは溢れた水とつり合っていて等しい。全体を沈めたとき天秤皿で測りたいVは、バネ秤を縮ませた量Wにほかならない。
      つまり、物体重量の減分が、増した水の量の重さである。物体の容積はシリンダーの目盛mで読んでも、バネ秤のWで読んでもよい。ネ秤のWで読んでもよい。

じ体積だけの水がこぼれるのなら、ガラスのメスシリンダーに王冠を沈めてみれば、ちょうどそれだけ目盛が増すにちがいない。こんな簡単な方法があったとは! 裸で彼が飛び出したとして、無理もない話である。溢れた容積を測る代わりにその水の重さを計量してもよい。王冠を沈めてみて、浮力で秤の目盛の減った分がそれである。物体が“おしのけた水とおなじ目方の水の体積”がその体積である。 アルキメデスにとって、溢れた湯でアルキメデスの原理を見出したというよりも、アルキメデスの原理が王冠問題を精密に解いたのである。

 ――そのころの時代背景――

 そのころのシラクサ周辺では、第一次ポエニ戦争の最中だった。ポエニ戦争は共和政ローマとカルタゴとの間で、地中海世界の覇権を賭けて争われた一連の戦争である。紀元前264年から、紀元前146年のカルタゴ滅亡まで3度にわたる戦争が繰り広げられた。
 同251年、重なる敗戦をみて、カルタゴはシチリアの駐屯軍を補強し、アグリジェントを奪還しようと試みる。アルキメデスがアルキメデスの原理を発見したのはこのころである。
 戦争中ローマを裏切ってハンニバル側についたシチリア島のシラクサでは、防衛にアルキメデスも参加しており、彼の発明した兵器はマルケッルスらローマ軍を苦しめた。シラクサ陥落に際してマルケッルスはアルキメデスを殺すな、との指令を出していたが、前212年、彼とは知らなかった配下の兵によって殺されてしまう。アルキメデスは殺される直前まで地面の上に図形を描いて円周率の計算をしていたが、一人のローマ兵がこれを踏むと、「わしの図形を踏むな」と叫び、その兵士に殺されてしまったのだという。
 ハンニバルは大スキピオにザマの戦い(紀元前202年)で敗れ、第二次ポエニ戦争はカルタゴの敗北に終わる。カルタゴは第3次ポエニ戦争で前146年、滅亡する。
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 こうと決めた“誤謬”にはたくさんの説明を要する
 紀元前150年  天動説の整備 

 天に2種類の運動がある。もちろんこれは、紀元前150年での話で
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