光速の背景 次ページ

 第1章 輝かしい発見
ある。恒星の日周運動と、その天の上で太陽、月、惑星が黄道に沿って動く運動とがある。太陽や月は一定方向に動くが、惑星は時に逆行することもある。この現象をどう解釈するか古代の天文学者の間で意見がわかれた。恒星が1日に1回まわるのに比べ、太陽は恒星より角度にして1度ほど遅れ、惑星も遅れる。月は1日に13度も遅れる。それを古代には、天球は1日に1回転するものであって、恒星は天球にはりついて一緒に回り、太陽、月、惑星は、回転する天球上で逆回りに回るとした。ローマの建築家ヴィトルヴィウスは、これを“碾き臼の上を蟻が逆回りに回る”様子に喩えている。太陽、月以外の惑星には逆行するものがある。プラトンの弟子エウドクソス(前408~)はこれを回転軸のちがった同心球を組み合わせることによって表現した。
 惑星は時に明るく、時に暗く見え、距離が変化するように見える。アポロニウスなど数理天文家は、離心円(円の中心から地球の位置をすこしずらしたもの)や周転円(天球上の1点を中心とする小さい円周上を回りながら惑星は天球を回っている)を導入して説明しようとした。数学的には惑星の複雑な運行をほぼ完全に表現できるに至った。
 さらにヒッパルコス(前190~)は春分点が黄道上を移動することを認め、これが歳差運動(今日約2万6千年周期とされる)である。これらの天の動きを集大成したものが、2世紀、アレキサンドリアのプトレマイオスの手になる天文学書『アルマゲスト』である。
 これらの思想では、周転円などの機巧は〝見かけを救う〟ための数学的工夫にすぎず、物理的な説明はアリストテレスの『天体論』によって与えられるが、エウドクソス式の同心球立体モデルの宇宙を説明するものでしかなかった。不思議なことは、これらの天体がどう動くのかには熱心であるが、なぜ動くのか、なにが動かしているのか、を誰も考えなかったことである。

 主観論に立つ数学が、ときに物理学を誤らせる
 140年 地球中心の宇宙 嵌まってしまった天動説

 古代最後の天文学者プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus 2世紀)は先に述べた『アルマゲスト(偉大なる書)』と呼ばれる書物を著す。この本の中でプトレマイオスは、地球を宇宙の中心に据え、その周りをすべての惑星が複数の円運動を合成した運動をしながら回っているという体系を描き、惑星の運動を予測する数学の方法を確立した。その後1400年にわたり後世の人々に長く受け入れられてきた。彼はアストラーべと呼ばれる天体の緯度を測る機具を用いて天体を観測していた。
 しかし、天体の運動を解くと思われた数学は、物理そのものは解かない。数学は天体運動をどの天体かに決めた数学的主観に立って進めることができ、それゆえ数学は物理理論を誤らせることがある。いまや地球中心説が誤りであることは周知の事実となっている。

 ――交易の拡大と大航海時代――

 紀元150年頃から16世紀まで、これといった科学的発見の少ない空白が続く。その中心はギリシャからイタリアとヨーロッパに移ってくる。 すでに8世紀初めにはアラブ系・イラン系の船は東アフリカや中国の諸港を訪れるようになっていた。910世紀にはインド洋世界を舞台としており、逆に、中国からは1213世紀には南インドやマライを訪問するようになっていた。15世紀後半、明の永楽帝による船隊はペルシャ湾入口、ホルムズを拠点にインド洋西海域を周航し、明の威権を示していた
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