光速の背景  100
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第4章 未来への道
れた火星探査においてそのとおりのプログラムによって成功したものであろうと思います。一般相対性理論の言う妙な数式など必要とされなかったと私は思います。
 これはすなわち、はじめから火星なら火星に固定した座標を光の座標として設定しておけば十分であることが分ります。航行中のほとんどの区間で太陽が光の座標となりますが、それを火星を座標とすることによって誤ったとしても0・03%ていどです。中間で(観測値の)速度調整をするにしても、このように測定誤差程度のものになりましょう。火星到着までの時間をよほど正確に予知したいのであれば、太陽座標も考慮する必要がありますが、列車の運行でも、各駅での事情により微調整されつつなされています。
 結論で言いますと、一般相対性理論に言う宇宙空間の曲がりを入れた距離計算は無用かつ誤りであり、GPS設計は、衛星においては地球をその座標、宇宙空間では太陽を光の座標としてプログラムすれば十分でしょう。2008年2月27日


 2. 検証

真理であるためには


 新しい説が提唱されようとするときにはいつも、それがどこかに矛盾を含んではいないか入念に検討されるだろう。そうでなくてはいけない。われわれの考えを提唱したときにも、その考えがすぐに有頂天に思うものではなかった。むしろ、こう考えてみてはどうかといった軽い思いつきにすぎない。それをもうすこし、遠目から眺めてみたり、急に厳格に検討してみたりするうちに、欠陥らしいものがなにひとつ現れないことが分り始めた。
 哲学の分派とも言うべき冷やかな、どちらかといえば傍観者的立場をとる科学哲学という分野がある。科学社会学という分野もある。新しい説が、かれらの鑑定にも堪えるものとなるなら、確信に箔がつくというものだろう。
 1980年ころに出された書物などによれば、科学的知識に関する社会学者たちの採った従来の姿勢は、“科学者の見解にはうやうやしく”従ってきた(『排除される知』)。社会学者が果たす役割はきわめて限定されると考えられてきた。科学知識からの逸脱をもたらすものとしては、イデオロギー的偏見、社会的影響、「非合理的な」態度が問題にされることがあったにしても、科学的知識の内容それ自体を社会学的に説明することはできないと考えられてきた。
 『排除される知』によれば、科学知識を信頼しきったこのような見方に対してトーマス・クーンの大胆な挑戦から、科学者による真理主張を方法論的「不可知論」の立場からみるようになった。かなり最近になって、反証主義に対する批判によって、信念に対する現実に採用されている根拠は多くの重要な点で規約的(ヽヽヽ)なものであり、どれを採用するかの決定は第一線の科学者の直観に基づいた専門家の間でなされる、ということが示された。 この指摘は手厳しいが、事実であろう。こういったところに科学、とりわけ物理学の行詰りの原因があるのではないか。なぜ科学が社会学者にこう言わせるのだろうか。ラカトシュは、科学活動の重大な局面でなされる決定の根拠が規約的な性質のものであることを指摘し、論理と「事実」だ
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