光速の背景  96
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第4章 未来への道
 独立を保っている。いま考えたように、互いに引力をもつには、この宇宙での二次元モデルは山ではなく谷でなければならない。しかも重力の法則によれば、中心ほど大きい傾斜をもち、渦のような凹んだ形状をなすと考えざるをえない。すなわち、宇宙には夥しい数の凹みが存在する。ある勢いをもった物体はその嶺の部分を、凹みへ落ちそうにカーブしながら乗り越え、通り過ぎることになるが、大きな渦にさしかかると、ついにその引力に捉えられ脱出することができなくなるだろう。そう考えると、物体はいずれ必ず、どの渦かに属してしまうことになる。
 さてわれわれが考えてきた、質量のつくる物質場は、われわれの思考モデルによればこのように、谷の形状でなければならない。物体A、Bそれぞれ、その質量に応じ谷の深さが異なる。互いは相手の深さが深いほど強く引き込まれようとする。もっと大きい物体Cが近くに存在するとすれば、大きいCの影響をうけるだろう。

 これまでは直観的にわかりよい、山とか谷とか渦などという形状になぞらえてきたが、実際に自然がもつのは形状ではなく、目には見えない“場”の勾配として存在する。互いの作用によって動き回る物質場たちによって空間につくり出され、絶えず揺れ動く加速度の構造が、物質たちの存在とともに構築されている。こうして多数の物質たち、宇宙で言えば天体たち自身がつくり出す場の勾配に従って、各々の天体は加速度をうけている。それゆえ、どの天体も、他からの作用をまったくうけない天体は存在しえない。すなわち、宇宙の存在、どの一つとして慣性系の内に居ることはできない。この宇宙の“場”は、運動に関係のない、別な現象をひき起こす構造をも、造っているのかもしれない。
 物体が運動するということは、空間の“場”――ここには電場や磁場のように、負(斥力)の勾配も合成されている――を変化させることにほかならない。すでに存在する全体という場に対して、物体個々がつくる場は微小なものであって、その微小な場の移動と全体の場の移動とが、相対的に同じであると見るわけにはゆかない。相対論に言うような、「互いの速度をもちながら、どちらから見ても物理的現象は同じ」()()ない(ヽヽ)ことが分るだろう。相対性理論は座標だけで考えようとする主観的、近視眼的、方法論だからである。

絶対静止空間とは
 宇宙ははるかなる山々ならぬ、谷々が織り重なって出来上がっている。その物質たちの集積である。ものの運動とは、勢い(惰性)――それは質量として感知される――をもった、その集積せる“場”の変化である、と捉えるべきであろう。その結果を、われわれの数学を用いて、つまり、微分したり積分したりすることによって場の移動速度や加速度あるいは位置関係として算出することはできる。ニュートンの運動方程式は二つの物体間で、かつ重力場だけで代表してあるが、実際の物体がうける場は無数の物体たちの、種々の場の合成として与えられている。 それゆえ、物体の運動の絶対静止空間とは、その空間において宇宙に存在するすべての物質が、場の成分として及ぼし合っている、その空間における各場の運動速度を合計したものとして求められるわけであるが、その近似的な値としては、実用上、その物体の存在する近傍にあって最も大きい天体(例えばわれわれにとっては地球、太陽系にとっては太陽)である、とみなしてほぼ差し支えない。それゆえ、その絶対静止空間は光の速さの規準となる空間と一致している。あらゆるものの勢いとは、宇宙全体の広大な静止空間に対する個々の運動量である、と考えることができよう。こ
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