光速の背景 次ページ

第5章 未来へなにを遺すのか

イススケート場 ロッククライミングウォール、ミュージカル劇場、図書館、インターネットビジネスセンター、レストランやショッピングができるプロムナードなどがあって、住まうのに十分な美容室やエステまでそろっているという。その後イギリスの豪華客船クイーン・メリー2号、アメリカのフリーダム・オブ・ザ・シーズ、…と記録が塗り替えられている。
 このような大型客船の甲板から見た海面に浮かぶ流木や流れ藻は流れて行くようにみえるだろう。地球上の列車を見るとき、どうしても列車の方が動いているようにしかみえない。地球は列車に比べてはるかに大きい。
 しかし、大型トラックが目の前を通りすぎるときにはトラックの方が動いていることをたしかに感じる。トラックに対して自分が動いているとは感じようがない。科学者の説明することはほんとうに正しいのだろうか。それとも、感じること、そう見えることが正しいのだろうか。自分から見た相手がどう見えてどうなるかを論じた相対論的立場からは、どちらからみても正しいとしている。運動する相手の質量が増し、寸法が縮む。その相手から見た自分もまた、相手にはこちらの質量が増し、寸法が縮んでみえる、と言っている。これは光というものだけが誰から見ても同じ速さであるという前提から出発した、幾何学的推論にすぎない。われわれは四章で実際にはどうなるかをじっくりと考察した。
 ぼくらは、ニュートン物理学の成り立つ空間では次のような二通りの考えをとって、互いに等速度で運動しあう物体間で起こることを、どちらから見ても同じだとするのは安易すぎると知ることができる。まず、さっきの2つだけが運動する空間について見よう。両方が互いにまっすぐにVの速さで接近しあうという速度を持っていた場合はどうか。片方がVの速さで動いているとみてもよいし、それぞれがυ υの速さで接近しているとみてもよい、というのがたいがいの科学者たちがする説明であろう。これは本当か?
 そういう勝手気ままな考え方で本当にいいのかをもういちど考えてみようと思う。その片方の質量をm、他方をMとして、格段にMの方が大きいとする。接近中までのところでは、さっきの科学者たちの考えで、なるほどそう思えば思えないこともない。問題は、これらがついに正面衝突してからのことになる。これらのあいだの反発率を1と仮定する。つまり運動エネルギー以外のかたちではエネルギーの消失はない。さて、衝突したあと、どちらもさっきと反対向きの運動量を得ただろう。これを正確に見きわめよう。
 仮に大きいほうが静止していてその質量が無限大であったとすれば、球体の衝突で学校物理に学んだところによれば、小さい方が衝突寸前の速さと同じVで反発されることになる。これは「ピンポン台の上で玉のはねる速さ」で説明される。玉をつまんで持ち上げ、ある高さから自然落下させてみると、反発率が1ならちょうど持ち上げた高さまではねる。つまり衝突直前の速さと直後の速さは等しい。
 こんどは小さいほうがじっとしていて、大きいほうが速さVで衝突すると考えよう。大きいほうの持つ運動量はMであった。小さいほうの衝突直後の運動量mυ、大きいほうはMになったとすると、運動量保存の法則によればM=mυ+Mという式がなり立つ。この式から、
  =(m/M)υ          ……………5-
あるいは
   ― (m/M)υ
 衝突直前の運動エネルギーは(1/2)M2、直後は(1/2)mυ+(1/2)Mということになり、その前後でエネルギー保存の法則がなり立っているはずで
  =mυ+M         ……………5-

  109
次ページ