光速の背景 次ページ

第5章 未来へなにを遺すのか
考えているよう。しかし、エーテルが存在するかどうかは、「考えの導入」ではなく自然自身が決めていることである。
 また、「マクスウェルの方程式は、光源の速さがどれほどであっても光の速さは同一であると予測しているが、このことは精密な測定で確認されている」と彼は述べる。
 だが、マクスウェルの方程式は電界・磁界に関する理論である。手元に実験器材であるマグネットや誘導コイルやコンデンサー、あるいは発信機があって、これらの起こす現象を観察して起こした理論である。彼らの実験がなぜ光源(発信機)の速度に対し、同じ光速を示すかはすでに見てきたように、私たちの新しい考え方――新しい法則――によれば当然である。

 ホーキングはいよいよこれから、水面に石を投じた波紋の話を始める。石が水面に飛びこんだ瞬間を0秒として、そこから中空に浮かすようにして1秒後の波紋を表わす円が描かれ、0秒での平面図から1秒上に、その平面図がある。そのさらに1秒上の平面図にもっと広がった波紋と、その内側にそれより1秒後れて生まれたとみられる小さい円が描かれる。さらに1秒後、最初から3秒後の平面図はその上に重ねられ、さらに大きい円とあとから生まれた大小二つの同心円が加えられ、三重丸となって描かれている。それら4枚の平面図は円の中心で時空軸とやらによって串刺しにされて、円周を連ねた稜線でかこむと、いつか見たような逆円錐が現れる。各平面図の重なりの高さが時空ということになるらしい。
 かくして完成した円錐の頂点を上下逆さに付け合った、2つの円錐が対になった図形が示される。例のミンコフスキー時空である。この図をもとに、さまざまな説明を彼は試みる。そこから、ビッグバンやブラックホールへと展開、この縦軸として時空を含む円錐からいろいろと変化した宇宙の図形を描いて、あたかもそのような時空間が存在するかのように読者には思われてくる。そのなかに“虚時間”まで登場する。したがって私が思うに、これから先はまじめな物理学者が読むべきものはなにもない。
 わたしは、自然界で実際に起こることに比べれば、どんな面白い知的仮想ゲームにも、興味をもたない。

 ほんのお隣にあるものと矛盾してしまうことに構わなければ、自由奔放にその発想は駆けめぐるのであろう。もちろん、そういう根拠のあやふやなことを書物にしてはならないということはできない。ただ私が問題に思うことは、博士号を持つ人が書いた本であるということである。一般に天才科学者によるものだと喧伝される以上は、人々はそれ相応の信頼をもって読むだろう。難解な理論を展開した上で、これを分りよくいえばこうだとして、大衆が興味をそそられる、奇妙でまことしやかな話を聞かされれば、ベストセラーにもなろう。
 アインシュタインがしたように、不条理な仮定から、一旦、なぜそうなるのか分りにくい式を立て、錯覚を混ぜ込んで、きわめてわかりにくい理論に仕立て上げてから、その結果こういうことが分ったとして、大衆に分りよい驚くべき理論としてこれまでの物理学を覆した。このようにすれば科学音痴である大衆には絶大な賞賛によって歓迎される。すくなくとも大衆にはそのように理解させ、信じ込ませることに成功している。この種のベストセラーによって、きわめて多くの若い才能たちがこれらのおまじないにかけられたまま、浮ついた魂を持ってこの学問の世界を目指してくることであろう。 
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