光速の背景  139
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第6章 なにが学問を遅らせるか
 特殊相対論は以上のように憶測からなる言い訳論に終始し、にわかに納得しかねるものであるが、言っていることはすこぶる単純だ。ただし、物理の本質が無視されているため不可解であって、もしも大前提が間違っているとすれば、すべてが瓦解する。しかもなお学者の多くはこの呪縛から逃れることができない。あの長い舌は、世界じゅうの学者をまんまと騙し遂せたという満足の表われだったのだと筆者は見ている。
 運動と直角方向の光についても相対速度は生じる。詳しくは前著を参照されたい。














  変革への障壁

 困難に遭った発見者たち

これまでにも数々のすばらしい発見があった。しかしながらどれもが明るく流暢に行なわれたわけではない。むしろ非常な抵抗に遭いながら成し遂げられ、ようやく認められることになった発見が少なくない。認められるまでに長い年月を要する場合もある。そこにどのような障壁があったかを思い遣ってみようとおもう。
 紀元前280年ころ、ギリシャにアリスタルコスという天文学者がいた。それよりすでに100年ほど前には、アリストテレスが天動説を唱え、以後地球を中心として天体は回っているとされてきた。そんな中、アリスタルコスは満月に落とす地球の影から、地球に比べた月の大きさを推定した。天体たちの大きさは人々の常識とは異なり、地球に匹敵するほどである。すると太陽こそが中心になっているにちがいないと彼は考えた。これはしごく理にかなっている。しかし当時では、太陽という光の玉はこのかたく重い地球の周りを回っているというのが常識だった。偉大な哲学者アリストテレスの『天体論』がもちろん常識のとおりであって、アリスタルコスの提唱で覆ることはなかった。
 その後の天文学者ヒッパルコス(紀元前190年~)やプトレマイオス(2世紀)もまた、寄らば大樹の陰と権威のアリストテレスに従った。プトレマイオスの『アルマゲスト』は、地球を宇宙の中心におく惑星運動の数学的集大成である。この天動説はアリスタルコスからなんと1800年以上もの歳月をおいて、1543年、コペルニクスによる『天体の回転について』で修正され、やっとアリスタルコスの正しい考えに戻ったのである。若かりしころのコペルニクスが北イタリアでアリスタルコスの埋もれていた説に出会った。それ

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