光速の背景  26 次ページ

 第1章 輝かしい発見
 一方、ジュールは近年に発明された電動機は蒸気機関に取って代わるのではないかと考え、電池による電動機の効率に関する研究を始めた。実験を進めるうちに、彼は力学的仕事から電磁誘導を利用して電流を作り、その電流により発生する熱を測定した。次に、力学的仕事から直接に、水をかき混ぜることによって熱を発生させる実験を行い、熱の仕事当量を精密に算出した。
 マイヤーは彼を襲った無視と批判と家庭的不幸から精神を病んだ。それから10年経ったイギリスで、マイヤーとジュールの先取権をめぐる論争が行なわれ、ようやくマイヤーは認められたのである。1947年のヘルムホルツによるエネルギー則の数学的理論と、50年代のトムソンらによる熱力学から、より普遍的に“エネルギー”という用語として理解されるようになる。エネルギー保存の法則は熱力学の第一法則のみでなく、諸科学の結合の柱として評価を高めた。


傾注が思考回路を開放する
1865年 ベンゼンの構造の提唱 ケクレ

 ニュートンがウィルソープのいなかにいるとき、糸につけた玉を回しながら、玉に見立てた月の運動を考えていた。そのとき遠心力の存在することに気がつき、それに抗している糸に代わるものは何か…。こんなふうに集中して考え続けていると、脳の中では思考がひんぱんに往来する神経繊維の連絡網が成長してゆくらしい。あるとき無意識的ななにかに伴われるように、不意に現れることがあるようだ。ニュートンの場合は逸話にあるような、庭のリンゴの木から実が一つ落ちたときのことがそれであろう。それが夢の中で現れることも、少なからずあるようで、ケクレの場合がそれであった。
 ケクレ(Friedrich August KekuleVon Stradonitz 182996独)は1865年、ベンゼンの構造は二重結合を含んだ正六角形であるという仮説を提唱した。その発見のいきさつを1890年のドイツ化学会での講演で語っている。
 「…そして全体がめまぐるしく、ぐるぐる踊り回っている間に大きい原子は次つぎにつながって鎖をつくり、その鎖の端だけに小さい原子をくっつけているのを見たのです。そのとき、“次はクラファム・ロード”と呼ぶ車掌の声に私は夢からさめました。その晩、私は遅くまでかかって、夢に見た形を紙の上にスケッチして書きとめたものです。(『科学技術史の裏通り』から意訳)」
 ケクレが乗り合い馬車に乗って居眠りをしていたとき、夢の中に炭素鎖が現れ、突然一つの炭素鎖の、尻尾のほうの端がそれ自身の頭のほうの端に結合し、くるくる回る輪を作った。“くるくる回る”というのは馬車の車輪の回る音が夢に織り込まれたのであろう。偶然とはいえ、それでケクレは、6個の炭素が六角形の輪を作り、1個の水素が1個の炭素にそれぞれ結合すると考えれば、安定な分子が結果として生じることに気づいた。ケクレのこの仮説が正しかったことはずっと後年になってX線解析で実証される。ひとたび炭素環の概念が付け加えられると、多くの分子構造の問題が解かれるようになった。


直観による信念が努力ののちに叶う
1869年 メンデレーフ周期律表

  メンデレーフが元素の周期律表を着想したときもそうであった。
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